milkcocoa30のブログ

統合失調症になった娘と過ごす毎日を少しずつ前に進めるように母の私の目で書いていく記録です

私の母とその祖母の関係

娘を見ていると私の母とダブル事がある。

違うのは、私の母は、4人姉弟の1番上に生まれた事と私の娘は、兄妹の末っ子。

とにかく頭がいい。好きな事をすると勉強では、結果を出す。母の事で言うと、私が1歳の頃、補導員の試験を受ける為、夫の助言から、毎日新聞を隅から隅まで読んだと言う。もともと母は、社会情勢に詳しくない人だった。だが、あの1週間 私の父は、母から新聞で読んだと言う情報を色々聞かされ、結果、1次試験は合格した。しかし、私がいたので、2次試験は、不合格になり諦めた。


母は、女性という事で母の父から女性は勉強せずとも良いと言われ続けた。しかし、母の母である祖母によると小1の頃から、勉強を良くしていたらしく、ノートも必ず最後まで使っていた。

母によると暗記物の宿題は、帰りに歩きながらやる。小学校低学年の頃は、裸足だった。

帰りは、母の父が必ず迎えにきたが、1日だけお友達と帰るとその日から決して迎えに来なくなった。

母には、弟が3人いて、すぐ下の弟はとても勉強が出来、その下の弟は、短気な性格だった。だが、母がその短気な弟にアドバイスをする。怒りたくなった時、数を数えると教えた。それは功を奏して克服したと言う。末弟の13歳下の弟のことは、精神的にも母代わりだったようだ。慣れない農業を朝から晩までやる両親に代わり、食事作りや兄弟の世話、高校生の時は、牛の排泄物の処理をしていた。その13歳下の弟である叔父が、母の高校生の頃、必ず牛の排泄物の処理をしていて、「高校生の女の子が出来るか?」と2年前の私の父の法事で話してくれた。たぶん幼稚園生位の叔父の目に映る母は、理想の女性として今も目に焼き付いているようだ。

勉強が出来た母は、大学進学し、研究者になる事が夢だったが、下に優秀な弟がいて、その弟が大学に行くだろうと思ったのかどうかは分からないが、母は、高3になり、簿記を勉強する。


旧満州から引き上げてきた母の家族は、母がまだ何歳だろう4歳とかその位の時のお手伝いさんのいる生活から、一転。慣れない農業を母の父は、独学で図書館などから本を借り勉強して始める。

その母の父も、優秀な人だった。

母の母は、厳しくも温かい人で、女の子は笑顔が大事と良く話していた。

母は、その教え通り、いつも笑顔でいた。

母と祖母の関係を探る時、そこに私の娘の生き方のヒントがあるのではないかと思った。

それがどう言う風な事なのか、具体的に説明は出来ない。


母が亡くなって27年目になった。

母は、自分の母を自慢に思っていたと思う。

褒めるところや真面目なところや面白い所が。

母の母は、6人兄弟姉妹で、真ん中である。兄弟姉妹の中がとても良く、働き者で面白い事を良く言うのだ。

私は、この祖母(母の母)の明るさが、どんなに嫌な事があっても、母は、腐らず、精神的にまいることもなく、我慢ができ、愚痴も言わない人生を送る強さになったと思う。

母と祖母は、性格が正反対だったからこそ、お互いに足りない所を補いあって、喧嘩など一回も無く、会えば、寝る間も惜しんで2人お喋りを続けた。

私は、幼いし、母に心配をかけない事位しか出来ない娘だった。

娘が笑顔で、これから生きていく時の何かヒントになる物を母と祖母の関係からも学べることがあれば学びたいと思う。

母は、生きていれば今月で84歳。

折しも今、娘は、その位の年代のおばあちゃんから教えを請い、海苔と言われながら、くっ付いている。